プロローグ:大阪からヨーロッパへの第一歩
香川真司のプロキャリアは、高校2年生という若さでの重要な決断から始まった。セレッソ大阪とFC東京からのオファーを受けた香川は、地元に近いセレッソ大阪との契約を選択。この決断が、後の日本サッカー史に残る欧州での活躍の礎となった。
2010年、香川は育成補償金35万ユーロ(当時約4000万円)でボルシア・ドルトムントへと旅立つ。フリー移籍ながら育成補償金が発生したのは、23歳以下の選手が移籍する際の国際規定によるもので、12~21歳までの在籍年数に応じてセレッソ大阪に支払われた。
ドルトムント黄金期の立役者(2010-2012)
2010-11シーズン:クロップとの運命的な出会い
ユルゲン・クロップ監督の下でのデビュー年は、香川の才能が一気に開花した年となった。リーグ前半戦17試合で8ゴール1アシストという驚異的なパフォーマンスを見せ、すぐにクロップの絶対的な信頼を勝ち取った。
しかし、足の指の骨折により4ヶ月間の長期離脱を余儀なくされ、後半戦は最終節のみの出場に留まった。それでも前半戦の圧倒的な活躍が評価され、年間ベストイレブンに選出。ドルトムントは9シーズンぶりのリーグ優勝を果たした。
2011-12シーズン:ゲーゲンプレスの申し子
この年の香川は、クロップの革新的な戦術「ゲーゲンプレス」において中心的な役割を担った。バリオスの怪我により本格化したロベルト・レヴァンドフスキとのホットラインは、ブンデスリーガでも屈指の破壊力を誇った。
戦術的役割の分析
ゲーゲンプレスにおける香川の役割は多岐にわたった:
- 守備時の最前線プレス:持ち前のアジリティを活かし、相手最終ラインへの最初のプレッシャーを担当
- スペースを埋める動き:決してデュエルで圧倒的な強さを持つタイプではないが、空いたスペースを察知して埋める守備IQの高さを発揮
- パスコースの遮断:プレス時にパスコースを切りながら守備する戦術理解度の高さ
攻撃面では即時奪還後の判断力が秀逸で、トップ下から繰り出される創造性溢れるプレーでゴールとアシストを量産した。
シーズン成績
- レヴァンドフスキ:33試合22ゴール10アシスト
- 香川真司:31試合13ゴール12アシスト
ドルトムントはリーグ2連覇、DFBポカール制覇で国内2冠を達成。特筆すべきは、カップ戦決勝を含むバイエルンとの対戦で全勝を記録したことだ。香川は全コンペティション43試合17ゴール14アシストを記録し、2年連続でリーグ年間ベストイレブンに選出された。
マンチェスター・ユナイテッド:栄光と試練(2012-2014)
2012-13シーズン:ファーガソンの期待を背負って
1600万ユーロでマンチェスター・ユナイテッドへと移籍した香川。アレックス・ファーガソン監督はエデン・アザールと香川を比較検討し、能力面・金銭面を総合的に評価して香川の獲得を決断したと語っている。
当時のレアル・マドリード監督ジョゼ・モウリーニョも香川の獲得に動いており、実際にインタビューで香川に「レアルで一緒にプレーしないか」と誘ったと明かしている。これは香川の市場価値の高さを物語るエピソードだ。
ファーガソンが香川を高く評価した理由:
- ドルトムントで証明した高強度でのプレー能力
- 間で受けてボールを運ぶ技術
- ポゼッションを安定させる能力
しかし、ロビン・ファン・ペルシーの同時加入により、香川はトップ下の控えや本職でない左ウイングでの起用が増加。さらに膝の怪我による長期離脱も重なった。それでもリーグ戦20試合6ゴール3アシストを記録し、22節ノリッジ戦ではアジア人初のプレミアリーグ・ハットトリックを達成した。
2013-14シーズン:暗黒期の始まり
ファーガソンの引退により、デイヴィッド・モイーズが新監督に就任。これは香川にとって最悪のシナリオとなった。モイーズの戦術は香川の特性と正反対のものだった。
戦術的ミスマッチの分析
- モイーズの戦術:サイドからのクロスを多用するロングボール戦術
- 香川の特性:ボールを前線まで運び、中央で得点機会を創出する10番タイプ
- 結果:サイドから中央へクロスを上げる役割では香川の能力が全く活かされない
チームの低迷によりモイーズは解任され、ルイ・ファン・ハールが就任。しかし新加入のファン・マタやディ・マリアの存在もあり、香川の状況はさらに悪化。本来のトップ下ではなくボランチやインサイドハーフでの起用が続き、最終的には事実上の戦力外通告を受けた。
リーグ戦18試合0ゴール3アシストという数字が、この苦しい時期を物語っている。
ドルトムント復帰:再生への道のり(2014-2019)
2014-15シーズン:クロップの救いの手
800万ユーロでドルトムントに復帰した香川を、クロップは温かく迎え入れた。「真司のようなタレントがその才能を永遠に隠しておくことはできない」というクロップの言葉通り、香川は復活を遂げる。
復帰初年度で早くもユナイテッド移籍初年度の記録を上回る、リーグ戦28試合5ゴール6アシストの活躍。これは「監督から求められているチームに移籍することの重要性」を示す象徴的な事例となった。
2015-17シーズン:トゥヘル時代の多様な起用
クロップの後任として就任したトーマス・トゥヘルは、多様なフォーメーションを駆使する戦術家として知られていた。
トゥヘルによる香川の起用パターン
- 4-3-3のインサイドハーフ
- 4-2-3-1のトップ下
- 3-4-3のシャドー
- 時にはゼロトップでの起用
トゥヘルは香川の特徴を理解し、主に中央での起用により長所を最大限に活かした。復帰2年目となる2015-16シーズンには全コンペ46試合13ゴール13アシストの大活躍を見せ、再びリーグ年間ベストイレブンに選出された。
2016-17シーズンは全コンペ30試合6ゴール8アシストを記録。
2017-19シーズン:複数監督下での挑戦
ピーター・ボス、ペーター・シュテーガー、ファヴレなど、様々な監督の下でプレーを続けた香川。しかし、ユナイテッド移籍前のような圧倒的なインパクトを残すことはできず、2019年にドルトムントを退団することとなった。
最終期の成績
- 2017-18:全コンペ30試合6ゴール8アシスト
- 2018-19:ドルトムント5試合6アシスト、ベシクタシュ14試合4ゴール2アシスト
総括:戦術適合性の重要性
香川真司のヨーロッパでのキャリアは、現代サッカーにおける「戦術適合性」の重要性を如実に示している。クロップのゲーゲンプレス、トゥヘルの可変システムといった自身の特性を活かせる戦術下では世界最高レベルのパフォーマンスを発揮する一方、モイーズやファン・ハールの下では本来の能力を発揮できなかった。
技術、創造性、戦術理解度、そして何より「瞬間を見極める判断力」において卓越していた香川は、適切な戦術的環境が与えられた時に真価を発揮する選手の典型例と言える。彼のキャリアは、現代サッカーにおいて個人の能力だけでなく、チーム戦術との適合性がいかに重要であるかを教えてくれる貴重な事例なのである。